2015年8月15日土曜日

第4回20150812 「子規ジュニア研究講座発表会」


第2回 8月12日(水)

 「子規ジュニア研究講座発表会」

 「子規ジュニア研究講座発表会」が、8月9日(日)(午後1時5分から4時)、当館の視聴覚室で、行われました。

1学期中に松山市内の小学4年生の希望者を対象に「子規ジュニア養成講座」を開催していますが、その修了生が研究生の資格を得ます。

今年、「子規ジュニア研究講座」に集まった研究生は、28名でした。

「子規ジュニア研究講座」は、正岡子規の人生を追体験してみよう!をテーマにして、子規をより身近に体感し、子規を理解しようとする講座です。

中学生は、子規が大好きだった「落語を語ろう!」に3年間挑戦。小学生は、子規の終生の仕事であった新聞記者となって「新聞を作ろう!」に3年間挑戦します。

今年は、研究講座が始まって6年目になりましたので、1期生から3期生の中学生、4期生から6期生の小学生がそろいました。

1期生「のぼ亭道楽」「のぼ亭お庭」の二人は通って6年目となり、背丈も伸びました。貫録さえ出てきました。余裕しゃくしゃくで、後輩の研究生のあこがれの的です。

 いよいよ『のぼ亭寄席』(注・のぼは子規の幼名「升(のぼる)」にちなんでおります)が始まりました。

師匠の五十九楼小辰(ごそくろうこたつ・渡部和也氏)が前座を務めております。

のぼ亭りんご「つる」→のぼ亭面胴「後生うなぎ」→のぼ亭道楽(中トリ)「そこつのくぎ」

→休憩→のぼ亭咲月「初天神」→のぼ亭こなつ「平林」→のぼ亭お庭「動物園」(大トリ)。

子規さんも大笑い、大喜びしたに違いありません。彼らの演じるさまをとくとご覧あれ。
 

舞台裏にて_出番前のジュニア噺家たち。
 
●のぼ亭りんご 「つる」

●のぼ亭面胴 「後生(ごしょう)うなぎ」

●のぼ亭道楽 「そこつのくぎ」(中トリ)
  

●のぼ亭咲月(さづき) 「初天神(はつてんじん)」
 
●のぼ亭こなつ 「平林(ひらばやし)」

「新聞づくり」で参加の子規ジュニア研究員(小学4年生~6年生)にも大うけの古典落語
 
●のぼ亭お庭 「動物園」 (大トリ)


のぼ亭の中学生6名の噺家さんと館長の記念撮影



 

2015年8月8日土曜日

第3回20150805「第61回特別企画展       河東碧梧桐 - 子規門の革命児 -」 開催中!!


 お久しぶりです!1年ぶりです!

 2015年 第1回「第61回特別企画展 河東碧梧桐―子規門の革命児―」開催中!!

 8月5日(水) 

  第61回特別企画展ご案内

河東碧梧桐は、高浜虚子と並んで正岡子規の最も古い門人です。彼は、子規派俳句の展開において重要な役割をはたしました。子規没後、碧梧桐は従来の俳句の型にとらわれない新傾向俳句を創出します。これらの運動は碧梧桐と交わった各地の俳人により、大きな拡がりをみせます。

 碧梧桐は全国行脚の模様を綴った紀行「三千里」を新聞「日本」等に発表するほか、旅行家として欧州や東アジアにも足を伸ばし、各地の文物・美術品についての考察・レポートを行いました。また碧梧桐は書家としてもすぐれ、中村不折らと古い碑文による文字の研究を行い、書道研究会「龍眠会」を結成、同時代人の文人の書体に大きい影響を与えています。

 今回の特別企画展では近年当館に寄贈されたものをはじめとする碧梧桐の資料を公開し、彼が与えた各地の俳人にあらたな光をあてるとともに、碧梧桐の革新的活動を紹介します。

 会場は松山市立子規記念博物館3階特別展示室です。ちなみに休館日は火曜日の8月4日、18日、25日です。

観覧料は、個人400円、団体320円、65歳以上200円、小中高校生は無料です。

先に、常設展示場で、子規を中心とした子規派の活動を御覧いただきますことを、お勧めいたします。その場合は特別企画展の観覧料は2割引きとなります。
 
 
 記念講演があります。講師は栗田やすし氏(河東碧梧桐研究家・俳人)です。演題は「碧梧桐俳句の変遷―その理論と作品―」。
8月16日(日)午後2時から3時半まで。会場は松山市立子規記念博物館1階視聴覚室です。入場料無料です(定員約100名)。
学芸員によるギャラリートークは、8月15日(土)、8月29日(土)、いずれも午前10時30分から50分程度。3階特別展示室で観覧者対象です。
 
ことさらに暑い今年の夏ですが、碧梧桐が挑戦した、俳句と書のせめぎあいの迫力は暑さを忘れさせてくれることまちがいありません。
碧梧桐の俳句ファン、書のファンの方々だけでなく、碧梧桐を全く知らない方にも、ぜひ御覧いただきたいと願っております。
どうぞお越しください。お待ちいたしております。 
 

2014年8月11日月曜日

第2回 20140801 「湯釜祭」


 
 8月1日午前9時30分から、道後公園北口にある「湯釜」のお祭りに参列しました。

松山市湯之町(道後温泉本館のある町)の「道後村祭り」初日に行われる、大切な行事です。

円満寺のご住職によって、道後温泉の湯が今年も豊かに湧きあふれて、人々の健康や生活が守られますよう「湯釜」に祈願がなされました。

「湯釜」は、現在の道後温泉本館が改築された明治27年(1894)まで使用されていましたが、新しい湯釜が設置されましたので、それまでの湯釜は道後の湯を守る神聖な「湯釜」として祭られることになりました。

「湯釜」は花崗岩で作られた石造物で、行基によって造られたと言い伝えられ、県指定有形文化財となっています。天平勝宝年間(749~757)の頃の作だといわれています。

 直径166.7センチメートル、高さ157.6センチメートルのかなり大きいものです。

孝謙女帝の御代に、東大寺の大仏建立の寄進を求めて行基が諸国を廻りましたが、その途次、伊予の国に廻ってきた時のことかと思われます。

松山にある円満寺や繁多寺などは、行基が関係したといわれる寺々ですが、これらと共に行基の足跡を伊予の国に残しているのがこの「湯釜」です。

この石造物は、上部の宝珠部と下部の基台に別れており、上下の継ぎ目から湯が流れ出るようになっています。

 宝珠部の中央には、左手に薬壺(やっこ)を持つ、薬師如来の座像が彫られていますが、長年の間に磨滅して、角が取れまろやかな良い感じの薬師如来像です。

 薬師如来像が見守る温泉の効能は、どの温泉よりも効き目があると感じられたことでしょう。

 宝珠部の頭部には、これも磨滅しかかっていますが、「南無阿弥陀仏」の六字名号が彫られています。河野通有の依頼によって一遍上人が自ら彫ったものといわれています。

一遍上人は、河野水軍で有名な河野氏の出で、生誕地は、道後温泉本館のすぐ東側の山際に建つ宝厳寺だと言われています。

 地元では、行基が造り、一遍上人が「南無阿弥陀仏」と彫り込んだこの「湯釜」を、「湯釜薬師」と呼んで、道後温泉の守りとして大切に祀っています。

 道後温泉にお越しの時は、道後公園北口の丘の麓にある「湯釜薬師」にぜひお立ち寄りください。

 道後では、8月1日から8月31日まで「道後温泉夏まつり」を行っています。

 

「湯釜祭」
 

 

2014年8月1日金曜日

第1回 20140801 「子規の俳句新曲『春や昔』」


 
こんにちは!糸瓜の間へようこそ。

子規のふるさと松山からの子規さんだより、今日から始めます。

よろしく。

とても嬉しいニュースから。

新井満さんにお願いしていた子規さんの俳句の歌がとうとう完成しました。

「春や昔」と「正岡子規のふるさとシンフォニー」です。

去年の秋、「子規のいる街シンポジウム」が行われました。

 

パネリストは、新井満さん、今は亡き子規記念博物館名誉館長天野祐吉さん、野志克仁松山市長、それに私、竹田美喜でした。

子規について話が盛り上がってきたときに、野志市長や天野さんから、「新井さん、子規さんの俳句で歌を作ってくださいよ」という、お願いが出ました。

5・7・5の17音しかない俳句で歌を作るというのは、とても難しいとわかっていながらのお願いでした。

その時、俳句で歌を作ることが、どれほど難しいか、一番わかっていらっしゃったのは、歌作りのプロ新井さんだったと思います。

困惑する新井さんに、会場からの大きな拍手が後押しして、無理やり引き受けていただいたのが、去年の秋でした。

 「こんなに早く作ってくださるなんて思ってもいませんでした」、これは6月28日の新曲発表会「もし正岡子規の俳句にメロディをつけたなら」に駆けつけてくださった女性のことばです。

みんなが待ち望んでいた歌ができました。
新井満さんと竹田美喜館長
 

歌のできばえは?

一時間後には、舞台も客席も一緒になって、大合唱でしたから、おわかりになると思います。

子規が愛したふるさと松山、少年期の子規、瀬戸内の城下町、太陽の明るさ・・・

竹田の感想は、「平成の唱歌が生まれた!」です。

松山市立子規記念博物館でも、この曲を流すことを、新井さんからご快諾いただきましたので、近々のうちに、館内で定時に「春や昔」の曲をお聞きいただけることになりました。

ちなみに、「春や昔」は子規の「春や昔十五万石の城下哉」の句によります。

この句は、市民の最も愛している子規の句で、新井さんが実施しました市内の小学生アンケートでも群を抜いてトップの句だったそうです。

早く、みなさまにもお聞きいただけたらと、CDの発売が待たれます。

 
写真は、出来上がった「春や昔」の曲について語っている新井満さんと竹田です。